日本のアロエ史と間宮家の関係
60年前、静岡県焼津船籍「第五福竜丸」の乗務員の被爆治療にアメリカのサ ンタバーバラ研究所の指示でアロエが使われました。当時間宮家は被爆火傷治療用のアロエの補給を行いました。その際、間宮家と親交を持った当時の 防衛庁の添田博士はその後もアロエの研究をすすめ、その分野での第一人者 となり著書も多く残しています。
また、それまで民間薬だったアロエを、医薬品として許認可させる為に、間宮家は大きな影響力を発揮しました。2代目はアロエに関する多くの著書を残しています。
話は変わって昭和20年代、当時はまだ西洋医学が 未発達で漢方医学全盛の時代でした。間宮社長は 戦争から帰った父親の2代目と共に間宮製薬(株) でアロエキスやアロエ粒の原型になる軟膏や錠剤 を製造しました。 ところがその後ペニシリンの発 明などによる西洋医学の新薬の台頭により、アロエの将来は医学の世界よりも化粧品の分野で真価が発揮されるのではと早々に判断。昭和31年に我が国ではじめてアロエを化粧品に配合して販売することになりました。 昭和29年の福竜丸事件の頃はアメリカでもアロエに対する認識はそれ程広がっていなかった様で、軍事研究所が実験的に未知の植物を研究しているといったニュアンスでした。アメリカでアロエ配合化粧品が多く見られる様になったのはそれから随分後の事でした。クレオパトラがアロエを美容に使っていたという例はともかく、おそらくアロエを化粧品に採用して販売したのは3代目現マミヤンアロエ社長が世界初だったのかもしれません。
3代目社長も日本アロエ協会が設立された当時の初代理事長を担当。現在も食品業界を中心とするキダチアロエ産業協励会 の理事長を務めています。
アロエの普及に努めてきた間宮家の歴史。
時代の変化と共にアロエも様々な用途で使われてきましたが、間宮家はこれからもアロエ使いの元祖として業界をリードする、より良い製品作りを目指してまいります。
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